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6月1日第6回裁判後の集会で、(特活)JIPPO専務理事で、「雇用継続を求める会」呼びかけ人でもあり、私の大学院時代の指導教授でもある中村尚司先生から、福島南相馬などの原発事故被災地の現状を報告していただきました。
スリランカ研究をご専門とする中村先生は、「民際学」という立場から日本国内問題についても、被差別部落、滞日外国人、野宿者などの問題について、独自の視点から取組んでこられました。
今回の福島原発事故被災地報告においても、巷での議論とは一味違った提言をされていたので、集会に参加されなかった皆さんにも知っていただきたいと思って、ご本人の許可を得て、掲載することにしました。
「目からウロコ」だったのは、放射線治療などの例をあげて、ただ、闇雲に放射線を恐れるのではなく、「放射性物質や累積する放出放射線量との共生が必要」だとおっしゃっていたことです。
また、情報を制限し、当事者の判断を無視して、一方的な避難指示をするのではなく、情報を開示し、必要なライフラインを維持して、住民自身が判断できるようにということを、強調されていました。
原発を容認するということではなく、原発事故が起きてしまった中で、被災者にとって何が最善か、ということだと思います。確かに90歳のお年寄りを無理に見知らぬ「安全」な場所に移住させて、果たしてその人は長生きするのか、幸せな最期を迎えられるのか、考えさせられました。

 
福島原発事故の被災地を訪ねて
                                       中村 尚司
                                     2011年6月1日
南相馬市に赴く
 3月16日に『日経メディカル』のブログに医師の色平哲郎(龍谷大学非常勤講師)氏が次のように書いている。「いま、南相馬市が<陸の孤島>になっている。地震に見舞われ、大津波に襲われ、遭難者の捜索がやっと始まったところで、福島原発事故で<屋内退避>を命じられている。援助物資は福島市に届いているのだけれど、南相馬市を<汚染地域>扱いにして、車で40分もかかるところまで<取りに来い>と言われている状況だった。風評被害がひどい。同市の桜井勝延市長とは十年来の友人だ。昨日、彼は、夜のNHKニュースのなか、電話で窮状を訴えた。しかし、今日17日、直接電話で話してみると、状況はまったく改善されていなかった。国は、南相馬市を見離さないでほしい」これを読んで週末に、地震、津波および原発事故の三重苦の下にある被災地を訪問しようと思い立った。
 PARCの小池さんから、福島県建設事務所の二瓶宏孝さ んが南相馬市民の避難所に詰めていると聴き、さっそく連絡を取る。二瓶さんは、日本評論社に在職中、『経済セミナー』誌に連載していた拙稿の編集を担当していた旧知である。東京からUターンして県職員になっている。東北新幹線は、那須塩原駅まで運行しているので、駅まで迎えに来てくれるという。さらに桜井 市長との面談機会も設定してくれる。
  東京駅で東北新幹線に乗り換え、午後1時40分に現在の終着駅である那須塩原駅に着く。二瓶さんが迎えに来てくれ、国道4号線を北上する。運転席には、放 射線の計測器が置いてある。県庁職員で数年前からガイガー計測器を持っているのは、二人だけだという。郡山市内では、2マイクロシーベルト前後の放射線数 値が表示されている。そこかしこに、道路の亀裂や屋根瓦の落ちた家を散見する。しかし、神戸淡路震災に比べると、破壊の程度ははるかに小さい。郡山駅東口 のスーパーに行き、南相馬市秘書課から依頼のあったレトルト食品やジュースを買い車に積み込む。
  二瓶さんの実家は、地震で柱が2本折れている。余震であと2本折れたら、保険の全損扱いにある。私が泊めてもらっているうちに全壊したら困ると思いなが ら、余震のたびにビクビクする。夜、手作りの夕食をご馳走になりながら、二瓶さんから今回の災害の特徴について話を聴く。福島県浜通りの場合、宮城県と異 なり、地震と津波に加えて、原発の放射線漏れが最大の課題である。現在のところ、南相馬市でも放射線による被災はないが、原発の半径20キロ圏内、30キ ロ圏内、その圏外にまたがっているため、退避の実情が多様であり、見通しの立たない避難生活が住民を苦しめている。飯館村(30キロ圏外)と比較すると、 現実の放射線計測値は、相対的に低い。
 翌4月3日(日)の朝、4時半に起床する。気温は氷点下で寒い。郡山の日の出は、京都より30分くらい早い。二瓶さんが、おにぎりとみそ汁の朝食を用意してくれる。午前7時半に出発する。飯館村(3マイクロシーベルトを超える放射線を検知)を経て南相馬市に着いたのは10時 過ぎである。市役所は固い岩盤の上に建設されていて、震災による損傷はほとんどない。放射線の測定地も、1マイクロシーベルト前後で、郡山市や福島市より 低い。桜井市長は隣の相馬市に行って留守だった。東京からの救援物資を市役所の倉庫に降ろし、面談予定の12時まで被災地を訪問する。
  12時前に市役所に戻る。玄関前で前長野県知事田中康夫氏のチームが、パーキスタン風カレーの炊き出しをしている。小柄で痩身の桜井勝延市長が、簡潔に現 況を話してくれる。地震と津波による死者が、三月末現在で358名、行方不明が1140名もいる。約5千名の市民が市外に避難している。しかし、3月24 日以降は自宅に戻る世帯も増えている。当面の区域外就学希望が、約700件出ている。食料品店が開けない。郵便が届かない、金融機関が開かない、自由に市 内を往来したり、買い物したりできない現状を改めて欲しい、と政府に要請しているそうだ。
  原発から20キロ以内では、遺体の捜索や収容も思うにまかせないのが、深刻な問題である。政府や東電は3月末まで、放射線量の計測も発表もしていないの で、原発の風評被害が多い。そのうえ、ジャーナリストも電話取材ばかりで、40キロ以内に近づくのを恐れている。多くの子供たちが、ここに住んでいること を忘れて欲しくないという。杉並区長の厚意で提供を受けた、群馬県にある保養施設に避難している市民が増えている。
  JIPPO理事会における橘理事長の発言を引用しながら、京都で被災者の子供や患者の受け入れに努力すると伝える。別れ際に、「よく眠れない日が続くで しょう。長丁場になりそうですから、十分に休養をとってください」と声をかけた。「私はマラソン・ランナーですから、持久力があります」という返事が印象 的だった。

さしあたって応援すること
 5月初旬に再訪し、被災地物産を仕入れ、同月9日からJIPPOで販売を始める
 風評被害に負けないよう、6月1日から龍谷大学の深草および瀬田学舎でも販売。
 緊急に必要な支援物資を届ける準備(相馬高校のエアコン35台など)。
 屋外に出られない小・中学生に野外活動の機会を提供する(富山、長野、京都の施設)。
 蓄積放射線量が増える一方なら、被災地からの移住を手伝う。
 孤立する被災地住民との交流を深める。
 
放射性物質や累積する放出放射線量との共生が必要
 放射線は感染しないので、扱いは法定伝染病とは全く異なるはず。
 がん患者の放射線診療と治療に用いられる核種と線量は、10シーベルトを超える。
 核実験による大気圏への放出量は、チェルノブイリ事故による放射能放出の約370倍。
 おなじく福島原発における核燃料の存在量は、主要な放射性物質で比較して約51倍。
 情報を制限し、当事者の判断を無視する大本営と同じ手法で、一方的な避難指示をする。
 90歳以上の老父母を抱えた飯舘村住民の苦渋に満ちた決断。去るも地獄、残るも地獄。
 必要な情報を開示し、最低のライフラインを維持し、住民の判断にゆだねるべし。
 1945年以降の放射線医学の知見を参照すれば、妥当な線量基準は見つかる。
 年間1シーベルトをうけると、がん・白血病の発病確率が増加する。

福島県南相馬市の海岸に大津波が押し寄せる瞬間



南相馬市の大津波
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2011.06.03 / Top↑
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