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    若い人に伝えたいこと
    「夢は叶う」イデオロギーと自己責任論

 先日、佐賀大学の集中講義に行ってきました。
 担当科目は「国際経済論」。半分はこれまでのフィールド調査に基づいて、インドネシアやスリランカの出稼ぎ女性労働について話しました。
  ・ 労働力の女性化、男性の不安定・不完全就労、女性の稼ぎ手化
  ・ 海外出稼ぎ女性問題、出稼ぎあっせん業、「債務奴隷」、不法就労
  ・ 中東湾岸諸国のハウスメイド、現代の奴隷制、搾取と虐待、
  ・ 日本のホームレスの現状、ジャワの物乞い、ホームレスは自己責任?
  ・ 若年層の雇用問題、新卒就職難、非正規雇用の急増、ワーキングプア

 この中で、私が一番学生の皆さんに伝えたかったのは、日本の貧困と雇用の現状です。リーマンショックに象徴されるように、国際経済と密接な関係があります。
 椅子取りゲームの例を挙げ、椅子の絶対数が全く足りない以上、どんなに努力しても、誰かがあぶれる。
それは果たして自己責任なのかということを、考えて欲しかったのです。

 学生の半数は、4回生。就活を通じて、おそらく私以上に雇用状況の厳しさを肌で味わっていると思います。それでも周囲は「夢をもって努力すれば必ず叶う」「あきらめるな」「がんばれ」などという言葉を掛けます。
 いくつも不採用が続くと、当人は「自分の努力が足りないのではないか」「能力が足りないのではないか」と、周囲の励ましや期待、そして世間に流布している「自己責任論」によって追い込まれていきます。自己評価が下がり、自信を失い、ますます力を発揮できなくなります。

 今、学生の皆さんが直面している就職難は、政治的経済的構造的な問題だということを、さまざまな角度からお話しました。だから決して自分を責めてはいけないと…
 賛同人でもある湯浅誠さんが貧困に陥る5つの排除ということを言っておられますが、その中でも最も深刻で危機的なものは「自分自身からの排除」です。自分で自分を見捨てたら、もう死ぬしかありません。日本の野宿者(とくに男性)と話していると、そういう人が多い。「ホームレスになった自分は人間のクズ」「自分が死んでも悲しむ人なんていない」「もうどうなってもいい」と、生きる意欲そのものがないのです。自殺未遂を経験した人も多い。

 「仕事がないことは自己責任ではない」という言葉は、何の解決にもならないかもしれない。
 でも少なくとも、「自分は十分に努力したけど構造的な問題で失敗した」と知ることが、「自分自身からの排除」という究極かつ最悪の排除から貴方自身を救うのです。
 そして、真に責めを負うべき者たちに、抗議の声をあげることもできる。
 その声を広げて、現実を変えることもできるのです。

 授業の終わりの小テストでは、70%以上の学生さんが「椅子取りゲームで座れない人は努力が足りなかったわけではない」と回答しました。いくつかの感想を紹介します。

「本人達の努力だけでなく社会の構造に問題がある、必要以上に自分を責め自信を無くすなということを聞いたとき、求職中の自分は救われた」
「個人の責めに帰すような考え方が一般的になっていることは、非常に残念。このような社会構造は改善されるべきだと思った」
「何社も受けて就職が決まらなかったら、自分は努力不足、能力不足と自分を責めるかもしれない。そんなとき今日の話を思い出したい」
「内定が決まらなくて絶望している先輩の姿を見てきました。大学に入ればある程度のところに就職できると思ってたので、騙された気分です」
「格差社会がさまざまな面に波及している恐怖と焦燥感を感じます。それをその人の問題と片付けるのは許されないと思う」
「私は就職できない人は自己責任、努力不足と思ってたが、話を聞いて考えを改めねばならないと思った」
「講義を聴いて気持ちが楽になった。世論で当人の質や性格の問題と言われているのも、性質の悪い論点のすり替えで騙されていたんだと」
「企業は株主配当や内部留保ではなく、雇用を作るべき」
「企業は労働者が消費者であることを考えて欲しい。若者に金はやらないがモノは買えというのはおかしい。正社員として適切な給料で雇うべきだ」
「親たちは大学に行けば安定職、高収入の仕事に就けると未だに盲信していて、自分の子が就職できないとだらしない、情けないとプレッシャーをかけてくる。自己責任ではないとういことを聞いて、求職中の自分は救われた」

 そもそも「頑張れば夢は叶う」という言説は、思想でしょうか、イデオロギーでしょうか、それとも「宗教」でしょうか?
「頑張れば夢は叶う」という考えは「夢が叶わないのは努力不足」という自己責任論と結びつきます。
本来は政治経済や企業社会の責任である格差や不平等から、目を逸らさせるには好都合です。構造的に排除された者たちは、社会の責任を問わず、ひたすら自分を責めてくれるので、ストも革命も起きず、自殺者は激増しますが、大企業もその傀儡政権も安泰です。 

 「夢は見るものではなく叶えるものだ」なでしこジャパン澤さんの言葉です。
 でもそれはスポーツの世界で言えることです。スポーツには誰に対しても公平なルールがあるからです。高橋尚子でも私でもマラソンで走るのは42.195km。日々努力を重ねれば、運動音痴の私でも、確実に記録は良くなっていきます。
 しかし、現実は違う。最初からスタートが40km地点で、易々とゴールして「勝ち組」に収まる人もいる。
 その一方で、何百キロ走ってもゴールすら見えず、力尽きて「負け組」に堕ち込む人もいる。

 これは公正な競争と言えるのでしょうか? 

 市民運動や労働運動に関わっている人、社会問題の意識が高い人ではなく、今回の集中講義の学生さんのようなごく普通の若い人、就活で悩んでいる人に、この「夢は叶う」イデオロギーの欺瞞性を伝えることが、非常に大切だと今回の講義を終えて、痛感しています。

 佐賀大学経済学部の皆さん、私の話を真摯に受け止めてくれて、ありがとう。
 そしてこれからどんな困難にぶつかっても、決して自分を責めないでください。
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2011.08.21 / Top↑
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